杉山 朗子先生への感謝と思い出

三浦 もと子(オクラホマ大学:JLT三期生)

杉山先生の訃報を耳にし、もう二カ月が過ぎました。二年前にお会いした時、昨年ご挨拶のメールを差し上げた時、どちらもいつもと変わらずお元気で、こんなにも早くお別れの日が来るとは思っておりませんでした。初めは驚くばかりで心の整理がつきませんでしたが、最近やっと先生とのお別れを受け入れられてきたところです。思い出と感謝の気持ちをここに書かせていただき、追悼とさせていただきます。

杉山先生と初めてお話をさせていただいたのは、私が大学四年の時でした。卒業を目前に、日本語教師になりたいという夢をもちながらも、周りからは就職を勧められていて、私自身ぐらぐらと揺れている時期でした。就職を進めるある方から

「最近の子どもは冷たいよな。親が一生懸命働いて大変だって言ってるのに、就職しないで院に行きたいとか言うんだから。」

と言われ、大学院は諦めようか、そう思っていた頃杉山先生のオフィスにお邪魔したのが最初でした。先生は私の気持ちやこれまでのいきさつなど、熱心に聞いてくださった後で

「その就職勧める人は“冷たい”っていう形容詞の使い方、間違ってますね。」

先生はまじめな顔でおっしゃいました。応援してくれる人が周りに少ない中、日本語の先生らしいその一言で急に気持ちが楽になりました。自分の気持ちに正直になってもいいのかもしれない、そう思って進学を決めることができました。あの時先生のお言葉に背中を押していいただいたから、今私は日本語教師として働くことができております。心から感謝しております。

大学院に入学してからは、最初から最後まで、ご迷惑をおかけした二年間になりました。今思い出しても情けない場面が多く、赤面してしまいそうです。一年目の後半からスタートした模擬授業では、終わった後先生方からのコメントを頂く時が本当に何よりも緊張する時間でした。先生方から御意見を頂く中で、杉山先生は必ず初めに何が出来ていたか、どの部分がよかったのかをいつも話してくださいました。以前の模擬授業と比較してお話ししてくださることもありました。そのお言葉に助けられ、励まされたのは私だけではないはずです。

また、上級のクラスの授業見学もさせていただいたのですが、先生のクラスはとにかくディスカッションが活発で、どの学生も積極的に話をしているのが大変印象的でした。上級ですので小説を扱ったり、社会問題を扱ったり、トピックは難しいはずなのにどんどん学生が話を進めていきます。今思えば、いつも聞き上手であった先生が授業でも学生の声に耳を傾けるようにされていたから、学生は臆することなくのびのびと話せていたのではないかと思います。今実際に教師の立場になってみて、そして先生との思い出を振り返ってみて、本当に多くのことを学ばせていただいたと改めて感じております。わがままとは承知の上ですが、もっともっと勉強させていただきたかったです。

JLTを無事修了し就職することが出来た後も、私は毎日のように壁にぶつかっておりました。そんな時先生にメールでご挨拶をしお返事で励ましのお言葉を頂くと、また一学期頑張ることが出来ました。私は結局入学する前、入学してから、卒業したその後も、いつもいつも先生にお世話になっておりました。

先生と最後にご連絡が取れたのは、昨年だったと思います。色々と生活の上で変化があり、元気が出ない時でした。杉山先生は「どんな変化があっても、三浦さんは三浦さん。」とおっしゃり、最後には「スマイルを忘れずに!」という一言が添えられていました。温かいお言葉に、涙が出ました。直接お礼を申し上げられなかったこと、今でも悔やんでおります。今年他の先生方にお配りした職場の名刺も、先生に直接お渡ししたかったです。先生のおかげで今私はここでお仕事が出来ていると、ご報告がしたかったです。

まだ、あのA棟の窓際のオフィスに行くと先生がいらっしゃるのではないか、そう思ってしまう自分がおります。長い間秋田で貢献してくださった先生ですから、時々様子を見にいらっしゃるかもしれませんね。先生がいつお越しになっても安心していただけるように、先生から学んだことを忘れず、そしてスマイルを忘れず、日々励んで参ります。杉山先生、どうもありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

Akiko Sugiyama Memorial

このHPは2018年7月25日にご逝去された故杉山朗子先生に捧げます。

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