杉山朗子先生 追悼
杉山朗子先生(でも私にとってはお友達の朗子さんです)とはニューヨーク州立大学バッファロー校の大学院にて勉強しながらTAとして日本語を教えていた際ご一緒させていただきました。あの頃何人かの同期の先生たちと平日の夜、それに週末にまで中華料理など食べながらみんなで楽しく教材を作ったりしたものです。私の講師生活の中でも最も充実した、そして最も楽しく仕事に勉学に励めた時期でした。オフィスも笑いでいっぱいでした。
そんな中私は私生活で色々と苦しんでいた時期があり、がむしゃらに母親業、勉学、それにTAのお仕事にと取り組んでいました。まだ赤ん坊だったうちの息子をカーシートに乗せたまま、走り回っていた中、ベビーシッターが見つからなかった際などうちの子をみてくれたりさりげなくサポートしてくれたのが朗子さんでした。朗子さんは困っている人がいればすぐに察知し自ら手を差し伸べてくれる本当に心の優しい友達だったんです。
朗子さんがバッファローを出て秋田で教え始めた後、バッファローを訪れてくれた際にお会いしたのが最後だったと思います。随分前です。。。「秋田に晋ちゃんと一緒に遊びに来てね」と何度も誘ってくれ、日本に帰国した際に行こう行こうと思っていたのにもかかわらず結局訪れることなく、朗子さんは去ってしまいました。。。実はお知らせを頂いた直前にちょうど、朗子さん、どうしてるかなあ。。またメールしてみよう、と思っていたところだったんです。どうしてもっと早く連絡しなかったんでしょう?悔やまれて仕方がありません。息子も随分大きくなり、これから昔からのお友達ともまた連絡を取り合いながら再会したいと思い始めたところでした。もう一度「あの頃は本当にありがとう」とお礼が言いたかった。。。
同じころ大学院で共に勉強した何人かのお友達にこの悲しいお知らせを伝えました。そのお友達とも久しぶりに連絡を取り合いました。大変悲しい機会であったにせよ、朗子さんがまた私たちをつなげてくれたんだね、と話しています。
朗子さんが引越しをする際に頂いた絵を私は額に入れて今でも居間に飾っています。その絵を見る度にこれからも朗子さんのことを思い続けたいと思います。どうか安らかにお眠りください。
坂本明美
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