追悼メッセージ

行木瑛子(国際教養大学日本語プログラム)

私が杉山先生に初めてお会いしたのは2015年秋、国際教養大学に面接に来たときでした。緊張していた私に、先生は笑顔で気さくに話しかけてくださり、先生のおかげでずいぶん緊張がほぐれたのを今も覚えています。

2016年春に秋田に来たときも、先生のおかげで新しい生活を問題なくスタートできました。大学に来てすぐに、学生向けオリエンテーションで、コースの説明をしなければならなかったときは、先生が「一緒にいるから大丈夫ですよ」と、私と一緒に来て、フォローしてくださり、心強かったです。

また、クラスで少しでも問題があると、「大丈夫ですか?」とわざわざ私のオフィスまで来てくださりました。こちらがオフィスを訪ねると、どんなに忙しいときでも、先生はいつも嫌な顔一つせずに、時間を割いてくださいました。先生も私も出身が関西だったので、こちらの的の得ない質問には、時折関西弁で「ツッコミ」ながら、笑顔で答えてくださいました。

仕事外でも、先生は気にかけてくださり、引っ越しした後も、「もし必要だったら」とたくさんの私物を譲ってくださいました。先生のくださった座椅子や棚など、今も使わせていただいています。その後も、家具にとどまらず、図々しく、雪かきスコップや、服、水着まで、いろいろなものをいただいてしまいました。

また、運転が苦手な私は駐車に時間がかかり、朝は先生によく「いやー、バックで停めるのかと思ったら、そのまま前にいくから、何事かと思った」など笑われていたのですが、それを知ってか、食事やセミナーのときは、「乗せていきましょうか」といつも声をかけてくださり、私もお言葉に甘えてよく乗せていただきました。雪の日に食事会があったとき、先生が「じゃ、6時に下で集合しましょう」とおっしゃったので、6時前に先生のオフィスをノックするといらっしゃらず、下に降りると、先生はもう10分前から雪かきをして、車を暖めて、ビルの目の前で私を待っていてくださっていて申し訳ない気持ちになったのを覚えています。それを謝ったときも、「いいのいいの、そんなこと気にしないで大丈夫ですよー」と笑っていらっしゃいました。

また、先生は、教師としての私を成長させてくださいました。私の授業を見学した後は、毎回、授業後にどうやったらもっとよくなるか、親身にアドバイスしてくださいました。特に「学生の間違いは、もっとはっきり指摘したほうがいい」というアドバイスは今も心に留め、忘れないようにしています。また、先生に「お粥の作り方を学生に聞かれて、『炊飯器のお粥のボタンを押したらいい』と答えるのはほんまありえへん」と、大笑いで「ツッコミ」を入れられたのもいい思い出です。

先生がいらっしゃらなくなってから、いかに先生の優しさに甘えてしまっていたのかを実感しました。ノックをしても「はーい」と明るい声で答えてくださる先生がいらっしゃらないのが悲しいです。

短い間でしたが、先生と一緒にお仕事できて光栄でした。先生の優しさ、一生忘れません。ご冥福を心から祈っております。本当にありがとうございました。

Akiko Sugiyama Memorial

このHPは2018年7月25日にご逝去された故杉山朗子先生に捧げます。

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