故・杉山朗子先生を偲ぶ
左治木 敦子(国際教養大学 専門職大学院 日本語教育実践領域)
杉山先生とは、専門職大学院で日本語教師養成に携わらせていただきました。私は今、杉山先生がふっと何の脈絡もなく、独り言のようにおっしゃった言葉を思い出しています。それは「言葉で人は変わるものかな」というものでした。
秋学期、院の教育実習では、院生が25分ずつの実習をします。デモティーチングが終わると、クラスメートや教員とともに行ったばかりのデモティーチングのクリティークをします。4人の先生が見守る前での実習は、秋、冬、春と3期に亘る実習のうちで、一番嫌だったと院生に言われ続けている実習です。今そのクリティークの音源を聞き返してみると、杉山先生のコメントは非常に分かりやすい言葉で、淡々と語られていることがわかります。私などはよくやってしまうのですが、自分のコメントをきちんと伝えようとするあまり、必要以上に同じ内容を言い換えて繰り返したりすることはほとんどありませんでした。聞いた後で清涼感さえ感じられる潔く簡潔にして明晰なコメントばかりです。
いつも思うのですが、「教える」ということは、少なからず、また教師の意志に反して、学習者に自分の『圧』をかける作業であるのかもしれません。本来なら、学習者の可能性を解き放ち、伸ばしていく作業であるにもかかわらず、教師側が情熱を持って指導しようとすればするほど、知らず知らずのうちに相手に『圧』をかけてしまうという矛盾を含んだ作業だと、私は思います。杉山先生は、指導すべきことを適確に指導しながらも、その「圧」が必要以上に学習者にかからぬよう、細心の注意を学習者の立ち居地に払っていたように思えます。言い換えれば「教える」ということ、「教師」であり続けるというご自分のスタンスや影響力を深く理解し、かつ大変謙虚に向き合っていた方だと、私の目には映っています。
ある院生はクリティークの際、「もう少し声を大きく。。」と言われていました。が、杉山先生に「声が大きくなくても、それだからと言って教師に向いてないわけではないからね」と言われ、救われたと語っていました。院生のTeaching Performanceにコメントはつけても、将来の先生としてのDispositionは絶対に傷つけない、そのさりげない語り分けができるのが、杉山先生でした。
「言葉で人は変わるものかな」という、一見言語の教師が言うには矛盾を含んだ言葉も、そんな杉山先生の教師であり続けることへの迷いや挑戦が含まれていたように思えてなりません。
今振り返れば最期のやりとりとなってしまったメールの中で、杉山先生は卒業を控えたJLT9期生へのメッセージを託されました。
「AIUで学んだことを活かして、AR(筆者注:アクション・リサーチ)マインドで、困難があったとしても前向きに進んでくださいね。」
院の領域長として、教育者として院生たちに卒業を祝うメッセージを送られたその翌日、お加減が悪くなり、それ以降杉山先生からメールはいただけませんでした。
最後に一つ愚痴を書かせて下さい。
「いつかゆっくりお礼をさせてね。」
私へのメールの中で、そう書いてくださったではないですか。ご病状がかなり深刻で、ひょっとしたらもう二度と生きてお会いできないかもしれないと理解していた私は、「いつか」と杉山先生が未来を語ってくださったことが、本当に嬉しく、希望を持てたことを今でも覚えています。
その「いつか」はいつ来るのでしょうか。
A3-8の研究室には、今、杉山先生のお写真が飾ってあります。そのお写真に向かい、私は時々「あの約束はどうなったのよ!」と愚痴っています。
「あはは、ごめん!」
杉山先生は、きっとそう言って手を振られると思います。
でも不思議なことに、私は今では、その「いつか」が本当に来るような気持ちになっています。 その「いつか」が来るまで少しの間、杉山先生、有難うございました。
そしてさようなら。
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